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着物大事典
着物レンタルVASARAです。今回は京都の中でも、国内でも珍しいウサギを祀る岡崎神社と回転する神社の山方社をご紹介いたします。その独特な雰囲気をぜひ体感していただきたいと思います。
延暦3(794)年、平安京遷都に際して、第3代・桓武天皇が王城鎮護のために平安京の東西南北に建立した神社のひとつであり、都の東を守護する神社として再川を越えた東山の麓、現在地に鎮座しました。後の貞観1 (869)年、第8代・清和天皇が社殿を造営し、元応元(1319)年には第6代・後醍醐天皇が再建して正一位の神階と神宝を賜ったと伝えられています。さらに、学徳元(1452)年には室町幕府8代将軍・足利義政が社殿を修造するなど、皇室から武家まで広く崇敬を集めてきた神社です。
本殿には、神話に登場する速素盞鳴尊(すさのおのみこと)、妻・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、その子供たちである八柱御子神(やはしらのみこがみ)の三柱が祀られています。
速素盞鳴尊は古来、神話の中では乱暴を働いたり、大蛇を退治したりと荒々しい神とされる一方、神仏習合によって仏教伝来の牛頭天王と同一視され、以後も厄除けや疫病除けのご利益で厚く信仰されてきました。
平安京の東を守護する牛頭天王を祀る神社であったことから、古くは東天王社と呼ばれ、現在も神社周辺の地名は東天王町といいます。明治になって神仏分離などの政策から、祭神が仏教由来の牛頭天王から神道にちなむ速素盞鳴尊となり、神社名も辺りの地域名より岡崎神社と改められました。連素盞鳴尊と奇稲田姫命の間には、八柱御子神という五男三女の神が生まれました。このように子宝に恵まれた神様を祀ることから、霊験あらたかな子授け・安産の神であるとされています。また、平安京の東を守護する神社として創建されたことに由来して、古来、干支を用いた方角の表し方で東は卵であることからうさぎと密接な関係にあります。実際に、昔から辺り一帯に多く生息していたうさぎが神の使いとされ、うさぎは多産であることからも子授け・安産の神として崇められました。治承2(1178)年には第80代・高倉天皇の皇后が安産祈願をした記録もあり、現在も腹帯を持ち込んで安産を祈願する習わしがあるのだそう。
本殿前には、狛犬ならぬ狛うさぎがかわいい姿を見せています。阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)で、右が雄、左が雌と、一対のうさぎであることから、頭をなでると縁結びや夫婦和合のご利益があるいわれています。
また、手水舎には、黒御影石で彫像された子授けうさぎ像があります。月を仰いで力を満たしたうさぎの像で、水を掛けてお腹を握って祈願をすると、子宝に恵まれて安産になると信仰されているのです。社務所で授与される安産守や子授け守もかわいいうさぎの絵柄で、また、ちょっと面白い名の飛躍守(ぴょんふ)は、うさぎの飛躍のように人生の大きな飛躍を願うこともできます。
世界遺産の二条城の前に、平安京の遺構とされる神泉所と呼ばれる道があります。この辺りは平安京の中心で、天皇や貴族が政治を行った大内義の近くに位置し、民の立ち入りが禁じられていました。天皇・貴族たちが舟遊びに興じた場所でありました。また、この道の水はどんなに日照りになっても枯れることがなかったといい、神の泉と書いて神泉地と呼ばれるようになりました。しかし、日照り続きで長たちが喉の泥きに苦しむときには庶民にも開放され、水を飲むことを許されたことから、庶民たちは尊崇の念を持って神泉苑(しんせんいん)と呼ぶようになったといいます。諸説あるものの、神泉苑の前を通る道が御池通と呼ばれる由縁になったと伝えられています。
神泉苑は後に雨乞いの霊場としても信仰を集めるようになった場所です。天長2(824)年、京都はひどい日照りに見舞われ、天皇の勅命によって、神泉苑において、空海が雨乞いの祈願を行うこととなりました。しかし、空海の仇敵である僧・守敏(しゅびん)は、その法力を使って雨を降らせる龍陣をことごとく封じ込めたため、さすがの空海の祈りも届かず、雨が降らなかったといいます。負けてなるものかと空海が最後の法力を振り絞り、雨を降らせる龍神・善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を呼び覚ますと、ついに京の都に雨がもたらされました。以来、神泉苑は雨乞いの霊場となったそうです。ちなみに、天皇から東寺を賜ったのが空海、西寺を賜ったのが守敏であり、この法力争いで空海が勝ったことから、空海の東寺は後世も繁栄を極め、守敏の西寺は没落へと向かっていくこととなったそうです。また、この神泉苑では、平安中期、歌人・小野小町が歌を詠んで雨乞いを行い、和歌を詠んだ短冊を神泉苑の池に浮かべると、瞬く間に比叡山から黒雲が湧き起こり、大雨が降ってその年は五穀豊穣になったと伝えられています。平安末期には、白拍子・静御前が舞を舞って雨乞いを行ったそうです。神泉苑に集められたのは、舞を舞う白拍子たち。しかし、99人の白拍子が舞っても一向に雨が降らず、最後の100人目として静御前が舞うと見事に雨が降り始めたといいます。この神泉苑での雨乞いの際に、静御前は牛若丸(源義経)と出逢ったと語り継がれています。
平安前期、第60代・醍醐天皇が神泉苑に行幸された際、見ると、鷺が1羽、羽を休めていたといいます。天皇は使いに「あれを捕らえて参れ」と命じたが、使いが近づくと鷲は飛び立とうとしました。そこで使いの者が鷲に「帝の御意なるぞ」と呼びかけると、鷲は地にひれ伏したといいます。天皇はその様子を見てとても喜ばれ、鷲に五位の位を授けた。以降、この鷲は五位鷺(ごいさぎ)と呼ばれ、この物語は謡曲にも謡われています。
そして、神泉苑には少し変わった神社があるのです。その社は、毎年恵方、つまりその年の良い方角に向きを変える恵方社と呼ばれる社であります。毎年大晦日の夜、陰陽道によって決定した新年の恵方に合わせて住職らが社殿を持ち上げて回転させるというもので、日本で唯一の恵方社とされています。ちなみに、2019年は東北東です。その年の恵方を確かめつつ、恵方に良いことがあるよう参拝してみてはいかがでしょうか。
いかがでしたか?京都にある珍しいウサギを祀る神社の岡崎神社と大晦日の夜に回転して新年の恵方に向きを変える恵方社をご紹介しました。京都には珍しい習わしを持つ神社がたくさんあります。すべて回るのは難しいかもしれませんが、自身が希望するご利益を持つ神社だけでもコンプリートを目指してみてはいかがでしょうか。
また、着物散策を検討されている際はぜひ着物レンタルVASARAをご利用ください。
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