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着物大事典
京都名所特集と銘打ってご紹介するのは、京都にある神社仏閣の特徴や歴史についてです。細かくご紹介して、観光などの際に役立てていただきたいと考えております。第12弾の今回は本圀寺(ほんこくじ)と安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)です。
京都の東、山科区御陵は天智天皇陵があることで知られています。その山科陵の近くに建つ大きな寺が日蓮宗の大本山本圀寺です。
この寺は日蓮上人が1253年に鎌倉に建てた法華堂を起源といわれています。光厳天皇の命により1345年、京都の六条堀川に移りました。足利将軍の援助を受けて発展し、広大な敷地を持つ寺となったのです。
足利幕府最後の将軍・足利義昭(よしあき)がこの寺を居所にしたので、「六条御所」と呼ばれたこともありますが、三好家の一族に襲撃されて義昭は殺害されそうになる。これを本圀寺の変といい、これによって本圀寺は破壊されてしまいます。その後、豊臣秀吉により再興されましたが、焼き討ちにあい、再び秀吉の姉、そして加藤清正らにより再復興。しかし、1788年の天明の大火で寺のほとんどが焼失。その後、復興は続きましたが、往時の壮大な寺を取り戻すことはできませんでした。
時代は1970年、本圀寺は山科の地に遷されました。そのときの貫主が、衰退と復興を繰り返した寺が今後は栄えることを願い、境内のあちこちに金箔を貼り、開運の御利益を祈願しました。まず寺に入ると、目につくのは中門。黄金の仁王像と屋根の上には黄金のしゃちほこ。本堂前の燈籠も本堂内の柱も金。さらに秀吉の姉が寄進したという大梵鐘も金箔が貼られている。本堂前の龍神の像も金。本堂背後にある加藤清正廟の鳥居も金。境内のいたるところに金箔が貼られて、まさに絢爛豪華。京都では珍しい金ぴかの寺です。
そのため、財運、勝運、開運に御利益があるといわれています。山門は加藤清正が寄進したもので、この門をくぐると人生が開けるといわれ、開運門と呼ばれます。
着物できらびやかな寺を訪れて写真を撮るのも良し、開運を祈願するのもいいのではないでしょうか。
京都祇園にある八坂神社や延仁寺の近く、東大路松原に安井金比羅宮があります。「縁切り寺」として知られ、全国からさまざまな悪縁を切りたいという悩みを抱えた人が訪れます。境内に入ると本殿の横にある異様な形の大きな巨石が迎えます。石といってもまわりに膨大な数の白いお札が貼られていて、中央に人がひとりかがんでやっと通れるくらいの穴か開いているもので、まるでお札が積もった山のようです。これが縁切り縁結び碑で、高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石。石のまわりに「〇〇と別れられるように 」 「お酒を断てるように」「夫と浮気相手の縁を切ってください」などの悪縁を切る願いが書かれた形かた代しろ (身代わりのお札)がびっしりと貼られています。
形代のお札に切りたい縁、結びたい縁などの願いごとを書き、それを持って願い事を念じながら碑の表側から穴をくぐり抜けると悪縁を切り、次に裏から表へくぐると良縁を結びます。最後にお札を碑に貼り付けるのです。山のようにお札が貼られており、碑のまわりには20〜30代の若い女性が圧倒的に多く見られます。もちろん縁切りだけでなく病気、酒、タバコ、ギャンブルなどあらゆる悪い縁を切って良縁に結ばれる御利益もあるので、悩み事があればぜひ参拝してみてください。
この宮は天智天皇の時代に藤原鎌足が堂を創建して藤の花を植え、藤寺としたのが始まりという古い神社です。藤の花の名所でもあり、現在も境内には藤棚があり見事な花を咲かせます。平安時代の崇徳天皇が藤の花を好まれてここにお堂をつくり寵愛する阿波内侍を住まわせました。崇徳天皇は保元の乱で弟の後白河天皇と争って敗れ、讃岐に配流になり恨みを晴らすことなく亡くなりました。死後は悪霊となって京都に天変地異や飢饉、疫病などを起こしたとされます。そこで、この神社は崇徳天皇を主祭神としてお祀りしている。崇徳天皇は讃岐の金比羅宮でいっさいの欲を断ち切ってお籠りされたことから、この神社では古来より悪縁を断つ祈願所として信仰されてきました。また境内には、古くなったり、傷んだ櫛(くし)やかんざしを供養する櫛塚があり、毎年9月に櫛祭が行われ使った櫛やかんざしに感謝の意を捧げます。古代から現代に至る髪型と衣装を着た時代の行列が祇園界隈を練り歩きます。その様子はじつに華やかです。着物を着て参加されるとより楽しめますね。
いかがでしょうか。今回は金箔で華やかに彩られた本圀寺と縁切りのご利益で知られ、櫛祭りなど着物でより楽しめるイベントが行われる安井金比羅宮をご紹介しました。着物をご利用の際はぜひ着物レンタルVASARAをご検討ください。京都駅構内・京都駅付近・八坂神社前に1店舗ずつ構えています。
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