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着物大事典
今回ご紹介するのは出世運最強とされる「佐助稲荷神社」です。
ところで、どうして鎌倉最強の出世運と言われる神社となったのでしょう。じつは源頼朝が関係しているのです。
頼朝は、父親を平家に殺された後、平家征伐を胸に誓って過ごします。するとある晩、夢枕に老人が立ち、稲荷神と名乗るお狐様が平家を滅ぼすタイミングを教えたそうです。
そのお告げに従い行動した結果、見事頼朝は平家を滅ぼします。その後頼朝は、その鎌倉の稲荷神を探し当て、そこに祠を立てました。
当時、頼朝の官位は「右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)」であったので、縮めて佐殿と呼ばれていました。
つまり「佐」殿を「助」けた「稲荷神」ということから「佐助稲荷神社」となりました。
父親を殺された少年という弱い立場から、鎌倉幕府を興すまで成長した頼朝。鎌倉最強の出世運と称されるのも納得です。
さて、最強の出世運を授けてくれる稲荷神とはどんな神様なのでしょう。
この神社の御祭神は稲荷信仰でよく祀られる「宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)」です。神徳は五穀豊穣を司り、「お稲荷さん」で有名な伏見稲荷大社や豊川稲荷もこの神様が祀られています。
そもそも稲荷とは、読んで字の如く「稲」関係の神様です。つまりは食関係です。古代の日本では「食」は「うけ」と読み、音の近い「宇迦(うか)」は同じ意味とされていました。食繋がりで、稲荷神社に祀られるようになったと言われています。
この宇迦之御霊神は、食関係の神様ですが、実は神徳は実に多様で、どんなお願いも答えてくれます。
頼朝に平家討伐の実行時期を教えるほどですので、面倒見のいい神様なのかもしれません。
鎌倉幕府を興すレベルの出世は願わないとしても、ちょっとした昇格、お給料UPなんかは望んでもいいのでは?ということで早速、佐助稲荷神社に向かいましょう。
佐助稲荷神社は、山に囲まれた住宅地の奥にあります。閑静な民家の間の小道を進むので、最強の出世運と称される、ご利益の神社があるとは想像がつかない感じです。
いよいよ神域へ入っていきます。なだらかな坂を登っていくと、急に鮮やかな赤い旗と鳥居が現れました。
何本も連なっている風景が、伏見稲荷大社のようです。
鳥居と鳥居の間には、小さなお狐様たちがいらっしゃいます。フォトジェニックな光景に、お気に入りの角度を求めてカメラを構える人も多く見かけます。
沢山の鳥居を抜けていくと、それまで聞こえていた住宅地の生活音が聞こえなくなり、途端に神聖なピリピリとした感じになりました。空気も澄み切っていて、特別な雰囲気を肌で感じることができます。
鳥居を抜けた目の前には、拝殿が現れます。今まで通ってきた赤い鳥居と対極のように、極力色を抑えたお社は、まさに神様のお住まいといった雰囲気です。
拝殿前の両サイドには、大人の背丈よりも高く、でこぼことした大きな岩が並んでいます。驚くのはその岩のでこぼこの部分に、小さな陶器のお狐様たちがチョコチョコと並んでいて、ここでもカメラを構える方が多いです。
かわいいお狐様たちが立ち並ぶ姿はさながらお狐様たちの集会場といった感じです。
拝殿の前だけではなく、見れば境内の至る所にお狐様たちが並んでいます。境内の端っこに授与所があって、そこでお守りと陶器のお狐様が並べられていました。
ところで、どうして稲荷といえばお狐様がいらっしゃるのかご存知ですか?諸説ありますが、意外にも狐の鳴き声に関係しているのです。
当時、狐のことを「キツ」と呼んでいました。昔の人々は狐の鳴き声が「キツキツ」というふうに聞こえていたことからそう呼ばれていたそうです。
そして、前述したとおり稲荷と言えば、祀られているのは「宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)」です。宇迦之御霊神の別名は「御饌津(みけつ)神」と言われていました。
この「きつ」と「みけつ」の音が近かったことから、狐が宇迦之御霊神のお使いとなったようです。
さて、拝殿でお参りした後は、右回りで境内を散策してみましょう。
境内奥には、小さな洞窟があり、地下からコンコンと水が湧き出しています。ここから湧き出す水は、周囲の稲を潤していたのでしょう。人が生きるために必要な稲を育てる水源を、霊狐泉として崇めているのです。
この水を神棚にお供えする風習もあるようで、お宅に神棚がある方は、ペットボトル持参でパワーをご自宅に持ち帰ってみてはいかがですか?
その霊狐泉の横には棚があり、所狭しとお狐様が並べられています。
さて、霊狐泉を離れて境内中央に戻ります。拝殿にお参りしただけで安心してはいけませんよ!拝殿の裏に階段があり、その奥に本殿があります。
そして本殿は圧倒されるほどお狐様がずらりと並べられています。この神社は至る所がフォトジェニック!写真を撮ることに夢中になってしまいそうですが、ここは鎌倉最強の出世運を誇る神社。自身の成長をお参りしましょう。
授与所で取り扱っている陶器のお狐様を奉納してはいかがでしょうか?きっとすぐにご利益があるでしょう。
本殿のお参りの後は、本殿左側にある小道を進んでいきます。
石が敷かれた小道を歩いていくと、小さな鳥居の奥に、大きな石が鎮座しています。この石、ただの石ではございません。これは御塚と呼ばれており、ここにお社ができる前から、人々はこの巨石を信仰していたと言われています。
ところで、頼朝の夢枕で平家を打つタイミングを教えてくれた神様は、鎌倉の隠れ里のものだと自身の出自を告げていて、平家討伐を実現した頼朝は、「隠れ里」というキーワードを頼りに、この場所を探し当ててお社を建てました。
階段をくだっていくと、苔むしたお狐様と石の祠が並んでいます。
ふかふかの苔に覆われたお狐様たちは、近づいてじっくり見てみると、風雨にさらされたためか、ボディの輪郭があいまいになっているお狐様もいます。
古いお狐様たちを通り過ぎると、スタート地点に戻ってきました。来た時に登ってきた階段を上から眺めてみましょう。
鳥居と幟が交互に織り成す真っ赤な風景は圧巻です。ここから撮影した写真は、きっと自慢できますよ。
いかがでしたか?出世運にご利益ありというだけでなく、至る所がフォトジェニックな佐助稲荷神社。カメラを片手にぜひ訪れてみてくださいね!
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